言論の自由を奪われることとは何と恐ろしいことであるか。
好き勝手言いながら暮らしていける今の時代がどれほど幸せであるか。
そんなことを噛み締めながら本書を読み通した。
ペンは剣より強し、という言葉はまことに正論でありながら
しかしこれほど真実味のない言葉もそうそうあるまいよ。
理想主義としてのペン、現実主義としての剣、
いつの時代もこのペンと剣が拮抗して成り立っているのではあるまいか。
そんな私たちの実感はよそに、アーヴィングはなんとも新しい提案をする。
熊である。
ペンはたしかにもろい、しかしながら熊は強い。
剣はたしかに痛い、しかしながら熊はかわいい。
熊が持つ意味とは「超越」であり、ガーオーである。
ペンを象徴する主人公ペッソットに対峙する権力者ギリアスは剣、
投獄され裁判にかけられ無実を訴える主人公のもとに
群集が押し寄せる瞬間はまさにペンが剣を凌駕する場面であったが、
でも熊がガーオーのほうがおもしろくない?
と筆者は熊を登場させる。
そして熊は我々の予想を裏切り、小さかったので暴力をふるうというわけでもなかった。
教会のドアが群集に潰され、十字架が倒れた瞬間、
まさに片隅で小熊がガオーと鳴いていたのである。
筆者が熊にたくした思いとは、ペンと剣、どっちが強いかなんて関係なくて
ペンは書きやすいし、剣はよく切れるし、熊はガオーって鳴くよねー。
という至極正論であったのだが、それはそれで同感なのではあるが
読むものには「それはそうだけど…」という腑に落ちなさ、大きなしこりを残す結果となった。
(2006年11月未読ながら著)