ミスターブー!

やっと観終わった、なんてさ! 
一体どれだけの人がMr.Booを観ているのか知らないが
おれはゼーンゼン観たことがなくて80年代生まれは多分観てなくてもいいとは思うんだけど
それでもやっぱり教養として観ておかなければならないような気がするMr.Boo、なんてさ! 
サルトルニーチェの時代でなくてよかったとつくづく思う、なんてさ! 
ということでMr.BooDVD5本をば毎夜毎夜少しずつ観てやっと終わり、なんてさ! 
まず誰もが気づくことだけんど、広川太一郎が自由すぎる、とか言っちゃったりして、憎いねとっつぁん、ツンツンツン! 
我々がアメリカから輸入された自由というものの意味をば履き違えてしまうときはままあるが、
そんなときはMr.Boo広川太一郎をば見てもう一度自由をば見つめなおせばよいのではないか外科、なんてさ! 
そして次に気づくのは
サミュエル・ホイの声をあててるビートたけしのやる気が無さ過ぎるということだろう、次郎、三郎、俵コータロー、とか言っちゃってみたりもするんだなぁ! 
声をばゼーンゼン張ってなくてBATHINGAPEのNIGOがテレビ出てるときとまでは言わないが
ここまでキャラクターを無視したやる気のなさは、
「洋七と飲みに行って」「おねえちゃんが」「倍々ゲームのように金が」といった
たけし黄金期をば背後に匂わせた時代をば感じさせる、とか何とか言っちゃってみたりしてぇ! 
ところでNIGO氏と映画『ユリイカ』ではどちらが声が小さいのだろう、次郎、三郎、俵コータローか、とか言っちゃってみたりもするんだなぁ! 
一度赤ちゃんがお腹をば蹴る音なども加えて3者で競わせてみたい、なんてさ! 
大体このようなことで2本くらい消化する、なんてさ! 
3本目になるとリッキー・ホイの顔が悲しすぎることに悩んでしまうことだろう、次郎、三郎、俵コータロー、なんて、コノコノコノォ! 
どうしてあんなに悲しい顔をしているのだろう、次郎、三郎、俵コータローか、とか言っちゃってみたりするんだなぁ、この、幸せモノぉ! 
大切なおもちゃでもお母さんに取り上げられたのだろう、次郎、三郎、俵コータローか、なんてさ! 
そういえば5年生のお誕生日会にやってきた山本シンちゃんは
プレゼントを用意していなくて少し涙ぐみながら帰っていったなあ、
とかそういうことばかり思い出してしまって物語どころではなくなってしまう、なんてさ! 
4本目ともなると段々Mr.Booを楽しみにしている自分に気づく、とか言っちゃってみたりもするんだなぁ! 
社会の底辺にいる主人公たち(飲み終わったコーラのストローを抜く仕事など!、なんてさ)が
ドタバタギャグの連続で多少なりとも幸せを勝ち取っていくのだけんど
やはり基本的に物語が明るい、なんてさ! 
映画の中くらいハッピーでいようぜ、とクストリッツァが旧ユーゴの歴史をば振り返るのと同じ姿勢で
娯楽映画の使命感をば真正面から受け止めていることに感動してしまう、なんてさ! 
香港の低所得者層に向けた幸せを勝ち取っていく物語の娯楽然とした姿には、
日本の高度成長期に植木等がいたように、
香港にはマイケル・ホイがいたのだと思わせる何かがあるもんでアルゼンチン、ブラジル、ナイス・シュゥーーーーート! 
とはいえ何もそんな大層なことを考えなくとも
ぼんやりと明るい映画に逆に不安をば覚えたりするのも一興というもんだっ手羽先、食べとく?! 
そして5本目『鉄板焼』ではついに広川太一郎の姿も消える、なんちゃって! 
日本で放送されなかったのか吹き替えが存在しないんだってば! 
しかもマイケル・ホイしか出てこない、なんてさ! 
だけんどこの『鉄板焼』がすごかった、とか何とか言っちゃってみたりしてぇ! 
登場人物全員悪人だったりセコイやつばかりでゼーンゼン共感できないんだってば! 
阿部和重の『シンセミア』のアマゾン書評にも同じようなことが書かれている、なんてさ! 
だけんどおれは全員に共感できない物語というのが基本的に大好きだ、とか言っちゃってみたりするんだなぁ、この、幸せモノぉ! 
阿部のそれに共感できないという意見には納得できないが(そもそもする必要がない、なんてさ)
途中からああもう好きにしてくれ、と、映画が自分に勝ってしまう瞬間があってこれが好きだ、なんてさ! 
ギャグの画変わりを優先させる余り強引すぎるストーリー、
パッとしない容姿をした登場人物全員、描く人間の小ささ、
どれもが相まって『鉄板焼』をモンスターに仕立ててあげている、とか言っちゃってみたりするんだなぁ、この、幸せモノぉ! 
素晴らしかった、なんて、コノコノコノォ! 
他に良かった点としては
ツッコミがカンフーだと痛そうでおもしろいこととか
こいつら100%伝説 1 (りぼんマスコットコミックス)はツッコミが剣で切るっていうのがおもしろかった
 あ、死んじゃう死んじゃう、という感じが非常に頭が悪くて良い、なんてさ)
頭が爆発するとかの低次元なものがおれはやっぱり好きだなー、とかそういうことか、とか何とか言っちゃってみたりしてぇ! 
長々と書いたが今回の更新は一度文章をば書いてから
http://www.keddy.gr.jp/~eigamichi/dic/hiro.cgiのフィルタを通している、なんてさ! 
インターネットは便利であるもんであるからしてアランフェス協奏曲!



(念のため原文も置く)

やっと観終わった。
一体どれだけの人がMr.Booを観ているのか知らないが
おれは全然観たことがなくて80年代生まれは多分観てなくてもいいとは思うんだけど
それでもやっぱり教養として観ておかなければならないような気がするMr.Boo
サルトルニーチェの時代でなくてよかったとつくづく思う。
ということでMr.BooDVD5本を毎夜毎夜少しずつ観てやっと終わり。
まず誰もが気づくことだが、広川太一郎が自由すぎる。
我々がアメリカから輸入された自由というものの意味を履き違えてしまうときはままあるが、
そんなときはMr.Boo広川太一郎を見てもう一度自由を見つめなおせばよいのではないか。
そして次に気づくのは
サミュエル・ホイの声をあててるビートたけしのやる気が無さ過ぎるということだろう。
声を全然張ってなくてBATHINGAPEのNIGOがテレビ出てるときとまでは言わないが
ここまでキャラクターを無視したやる気のなさは、
「洋七と飲みに行って」「おねえちゃんが」「倍々ゲームのように金が」といった
たけし黄金期を背後に匂わせた時代を感じさせる。
ところでNIGO氏と映画『ユリイカ』ではどちらが声が小さいのだろうか。
一度赤ちゃんがお腹を蹴る音なども加えて3者で競わせてみたい。
大体このようなことで2本くらい消化する。
3本目になるとリッキー・ホイの顔が悲しすぎることに悩んでしまうことだろう。
どうしてあんなに悲しい顔をしているのだろうか。
大切なおもちゃでもお母さんに取り上げられたのだろうか。
そういえば5年生のお誕生日会にやってきた山本シンちゃんは
プレゼントを用意していなくて少し涙ぐみながら帰っていったなあ、
とかそういうことばかり思い出してしまって物語どころではなくなってしまう。
4本目ともなると段々Mr.Booを楽しみにしている自分に気づく。
社会の底辺にいる主人公たち(飲み終わったコーラのストローを抜く仕事など!)が
ドタバタギャグの連続で多少なりとも幸せを勝ち取っていくのだが
やはり基本的に物語が明るい。
映画の中くらいハッピーでいようぜ、とクストリッツァが旧ユーゴの歴史を振り返るのと同じ姿勢で
娯楽映画の使命感を真正面から受け止めていることに感動してしまう。
香港の低所得者層に向けた幸せを勝ち取っていく物語の娯楽然とした姿には、
日本の高度成長期に植木等がいたように、
香港にはマイケル・ホイがいたのだと思わせる何かがある。
とはいえ何もそんな大層なことを考えなくとも
ぼんやりと明るい映画に逆に不安を覚えたりするのも一興というものだ。
そして5本目『鉄板焼』ではついに広川太一郎の姿も消える。
日本で放送されなかったのか吹き替えが存在しないのだ。
しかもマイケル・ホイしか出てこない。
しかしこの『鉄板焼』がすごかった。
登場人物全員悪人だったりセコイやつばかりで全然共感できないのだ。
阿部和重の『シンセミア』のアマゾン書評にも同じようなことが書かれている。
しかしおれは全員に共感できない物語というのが基本的に大好きだ。
阿部のそれに共感できないという意見には納得できないが(そもそもする必要がない)
途中からああもう好きにしてくれ、と、映画が自分に勝ってしまう瞬間があってこれが好きだ。
ギャグの画変わりを優先させる余り強引すぎるストーリー、
パッとしない容姿をした登場人物全員、描く人間の小ささ、
どれもが相まって『鉄板焼』をモンスターに仕立ててあげている。
素晴らしかった。
他に良かった点としては
ツッコミがカンフーだと痛そうでおもしろいこととか
こいつら100%伝説 1 (りぼんマスコットコミックス)はツッコミが剣で切るっていうのがおもしろかった
 あ、死んじゃう死んじゃう、という感じが非常に頭が悪くて良い)
頭が爆発するとかの低次元なものがおれはやっぱり好きだなー、とかそういうことか。
長々と書いたが今回の更新は一度文章を書いてから
http://www.keddy.gr.jp/~eigamichi/dic/hiro.cgiのフィルタを通している。
インターネットは便利である。