会議のときに
がさがさ自分の荷物を鞄の中から取り出して
机の上にぽんぽん置いていくと
隣の人が「これなんですか?」と指差した先には
ちん毛がある。


ちん毛が一本ある。


行間。
行間入れてみました。
行間を読めという言葉があるが
「ちん毛がある。」と「ちん毛が一本ある。」の間には
一体何があるというのか。
簡単!0.5本!と思った方。
公文の通いすぎである。
これからは塾に通うことをオススメする。
ともあれこういう無駄な行間はみなさまに不親切である。


ところでこのちんもうであるが…
と書くと、これまでの人生ずっとちがう読み方してきた恥ずかしい!と
清水ダイブされる方もいらっしゃるであろうからこういうのも不親切である。
何事も親切であることは難しい。


色々なことを考えるのは目の前にちん毛があるからだろうか。
現代のオーパーツがここにあるじゃないか!と思ってみてもちん毛である。
会議室である。
机の上である。


昔、友人にガルシア・マルケスの『百年の孤独』を返すとき
「こういうのちん毛が挟まってたりするんだよな」
と、お互いにへっへっへっと笑いながらパラパラとめくっていたら
コンドームが出てきて二人とも無言になった。
おまえもか。
おまえもオーパーツか。


そして現代の怪奇が目の前にあるのだが
さすが色々なことを考えただけあってちん毛ではないかもしれないというかすかな希望が見えた。
うん、少し長い。
光明が射したと思ったら視界は開けてきた。
2倍は長いぞ。
あのしっかりした毛根がないぞ。
頭の中の連邦議会が満場一致で採決する。


「これはぼくの髪の毛です。」


指差した自分の頭部には「おばさんパーマにしてくれ」とオーダーしたちぢれっ毛。
縮毛、縮毛、また縮毛。
どこまでも縮毛の雲海を指差すと、
あー、なーんだ、なるほどねー、そりゃー似てるねー、と四角い仁角がま〜るく治まった。


しかしなんだおれの髪はちん毛だらけなのかと思うと泣きたくなった。