3.11以降大変なことが起こっています。


あの日以来、電気を使うくらいなら早く寝てもいいような気がしています。
仕事量も低くていい、それがこれからの社会だという気がして仕事を残して寝ています。
ただその時間が早過ぎる。
夜9時とか10時に寝ているのです。


それは子供を寝かしつけると自分も寝てしまうからなんです。
いや正確に言うと、寝かしつけてる妻、寝かしつけられる娘の横で勝手に寝ているのです。
私はなぜその時に寝ているのか自分でもよくわかりません。


なかなか寝ない娘を見て「寝ないな」と思っていることはわかります。
そのタイミングはたしかにある。
察するにどうやら私の頭は
「寝ないな‥‥しょうがない、おれが寝るか」と思っているようなのです。
なにがしょうがないのか。
私が寝たことで一体誰が得するというのか。
大変な思いをして寝かしつけている妻子の横でのんきな父さんというやつです。


のんきな父さん。
これではないでしょうか。


父さんになってみて分かりました。
これじゃあ「のんき」しかねえじゃねえか、という場面が多々あります。


今日などは児童館のようなところに家族で行きました。
父母二人がかりで娘のお相手です。
しかしどう見ても、娘が母の方に向かっているなということばかりなのです。
娘がビーズのじゃらじゃらを手にとって、
父が「それちょうだい」とやさしく声をかけたのを素通りし
「ありがとう」と言う母のもとに持っていく。


「そりゃないよ!」とすっとんきょうな声を出すコメディアン。
私めは前フリというやつでしかないアレでございます。
エンドレス前フリでございます。
前すぎて石斧持ってナウマンゾウに向かっている感じさえただよっています。
黒曜石は大変便利なものでございます。
生活知っ得情報でございます。


筆がすべりました。


やはり子供の人気とりにおいて父は母に負ける。
もうこれは絶対にそうだなと思う何かがそこにあるのです。
父は要らない。
だとすれば父に何ができるのか、それはのんきなのではないか。


状態ではなく行動としてののんきです。
これはそろそろのんきしかないな。
そう思った私は自慢のipodの将棋ゲームを取り出して、児童館でぽちぽちやっているのです。
妻がありありと失望の顔を浮かべます。


何も言わずそこを抜けだして、私は電車に乗って古本屋にむかいます。
のんきの延長戦です。


そんな折手に取ったのは「川崎徹全仕事」といった、
日本が元気だった時代を彩ったCMクリエイターの仕事集でした。
こんなこともあんなことも許されている。
そこにはのんきがありました。


川崎徹が作ったとても有名なCMとしてキンチョールのものがあります。
(恥ずかしながら私はそれさえも知りませんでした)
郷ひろみ柄本明がハエハエカカカ、とバケツに言わせようとするのです。
当然バケツは何も言いません。
机の上ででんとしています。
「何も言いませんな」「バケツですから」


見事なナンセンス。
これがCMで許されているのです。
今だったら「意味は?」「シュールw」とくさされることでしょう。
思えばそれより前の天才バカボンにもこういう見事なナンセンスが多々ありました。
ああ、それも許された時代です。


川崎徹のインタビューが巻末についていました。
バケツでなくてカボチャにならんか?とスポンサーが言ってくる。
カボチャじゃかわいすぎてだめだ。
じゃあ靴でどうだろう?と別の案も出される。
靴も一応撮ったのだ、しかしやはりだめだった。
あれはああみえて、バケツはバケツでなきゃだめなのだ。
そんなことをクソ真面目に語る姿には美しい時代の香りさえ漂います。


今は大変な時代だな。
のんきでさえもいられないぞ、と夜中に起き出し、しかめ面して日記を書いています。


早く寝すぎて目が覚めてしまっただけではございますけれども。