スピーカーがいるなと思いリサイクルショップで買う。
高さ1mが2本にウーファーがついてて全体的にでかいが2100円。
安い。
この「安い」というのはわーでかいのに安くていいなーという気持ちなのだけども
雨の中、タクシー乗って家に運び入れてみると
でかい。
こんどは、安いのにでかいなーとさっきとは逆の負の感情が湧き上る。


部屋に入れてみるとでかい、というのは斉木しげると同じ現象だ。
(そういうコントがあった)


でかいのに安い。
それ以上でもそれ以下でもない、ただでかくて安いという事実に振り回される。


置いてしばらく経ってみると90年代の香りがしてくる。
なんだろうなと思ってみるとスピーカーがでかい。


これだ、このでかさが古めかしさをかもし出しているのだ。
またお前か。


気づけばおれはあのリサイクルショップでろくな買い物をしていない。
と思うのは眼の前にある野茂の壁掛け時計を見て思ったことだ。
あれも50円というとてつもない安さだった。


50円の野茂の壁掛け時計、である。
これは一体どういうことなのだろうか。
野茂に20円で時計に20円、壁掛けに10円といったところだろうか。


生産者、流通、小売店は全員涙を飲んでただ働き。
野茂さんのためならここは採算度外視で…
そんな思いで作った時計の許可をとろうとドジャースの野茂に会いに行く。


しかし飛行機の中で思いなおす。
野茂と時計が等価値なのは消費者にとって失礼じゃないだろうか、と。
みんなは時計を買うのだからもっと時計部分に費用をかけたらいいんじゃないか、と。
そういうわけで野茂さん、時計を作るんで一個売れたら3円あげます。


千個売れたら三千円か…。
とケツのでかい男が悩んだその時計が今まさにわが家にあるのだ。


と思ったらワーイとなったけどもちろん最悪にダサい。
でもその前に野茂時計、片目のとれたハクトウワシ、小柳くんのパネルがはっ付けられたラジコン、
天狗の面、ハワイのお土産、時代劇で使われなかった15分で作られた金のつぼ。
もろもろあるのでもうなんかいいや!と
今日90年代のばかでかいスピーカーを生暖かく迎える。


「灰原はん13時までに銀行に入れなつぶれてまいまんねん」と
零細企業の社長さんが電話してるまさにその横で入社してきた新入社員を出迎える気持ちで。