お湯とパンツ

妻も仕事に出て、子も託児所に託されて、
一人家でおひるを食べていることが多くなった。


だいたいは昨日の残りをおかずに冷ご飯を温めて食べている。
温かい汁物があればいいが、ない日は白湯を飲んでいる。


白湯は意外とうまい、と知人の小柳という男から教えてもらい、
ダーリンハニーのメガネかけて細長い方の、といえばどちらもだが、
吉川さん(何回か会ったことがあるのでさんを付けている)のトークでダメを押された。


試してみると白湯はうまい。
水とはちがう味がある。
味というか、なんというか、おどろくほど落ち着くのである。
こんな昼日中からここまで達観していいのか!というほどに人生の高みに達する。
白湯。


ところで私は今、裸でいる。
風呂の湯が思ったよりも熱く体がいっこうに冷めないので裸でいるのだ。


りんごジュースを飲んでも冷めなかった。
空気清浄機の給水ランプに気づいても冷めなかった。


しょうがないので裸で空気清浄機のタンクに水をくんで、
裸で空気清浄機のタンクをセットし、電源を押し、ピッ。
裸でのメンテナンス業務というのはしみじみと人生を感じる。


ところで西アフリカの裸族には製鉄技術を持つ者がいる。
彼らマタカム人は一糸まとわぬ姿で熱い熱い鉄を作るのだ。


裸で中華料理を作る、なんて芸をテレビでやってるのを見たことがあるが
製鉄である。
重工業である。


着ろよ、服。
重工業なんだからさ。


マタカム人にそんなこと言ってもむだだろう。
彼らは神聖な格好ということで裸を選んだのだ。
実際製鉄は儀式のようなもので、
彼らは右手に生贄のにわとりを持っていたりする。


急に本気度が上がったろう。
私たちの人生で本気を見せたいときは絞めたニワトリを片手に持つことである。
マタカムぽたぽた焼きの裏にあるマタカム人のおばあちゃんの知恵袋に書いてある。


話がずれた。


裸でメンテナンス業に勤しんだあとは、ようやく一段落してパンツを履いた。
トランクスというスカスカしたやつだ。
しかしこれも白湯と同様、おどろくほどに落ち着いた。


パンツに足を通す、一気に上へ引き上げる。
スーッ。


このスーッ、で宇宙へ飛んでいって太陽系をガラス玉を愛でるように転がしている自分に達した。
パンツ、すばらしい。


白湯とパンツ。
内側に一口、外側に一枚。
どちらもおどろくほどに心落ち着くのだ。
人類は何か心配になったりふわふわ浮ついた気になったら
一口し、一枚着て進化していったのだろうなと思った。


その後、これを書いている。
パンツ一枚でここまで書けるとは、あのお湯はどんなに熱かったのだろう。