社会の窓に網戸をつけたこと

そういえば数回前の日記に、ズボンのチャックに網戸をつけたものを作ったので履くのが楽しみだ、とあったがその後を書いてなかった。ズボンのチャックというのは不思議なもので、なくてもいいんじゃない?と思われるけどあれは本当に要るんですよね。今後「チャックってなんであるの?」と聞いてくる人がいたら、チャックのチャの字で「全開にならないと履けないでしょうが!」と怒鳴り返すことにします。(その後涙目で「チャック・ウィルソンってオカマの人だっけ?」と言ってたら、ごめんとしか言えないけど)そうそう、要るんです。チャックは。この知識はヤフー知恵袋で「チャック要らないだろと思って作ったらズボン履けなかった」と失敗談書いてる人がいてそれ以来ズボンを履くときにずっと頭をよぎってるんです。要るぞこれは、と。こう、おれは今すんなりズボンを履いてるけど、チャックのおかげだぞ、と。おれがえらいんじゃなくてチャックがえらいんだぞ、と。


ということで多少ゆったりめに網戸をつけたんだけど、なめてました。チャック。ウィルソンじゃない方の、社会の窓、そしてその全開具合。こんなにもこんなにもこんなにもこんなにも(※ここフィッシュマンズの歌から)社会の窓は全開になるなんて。そうです、網戸が足らなくて引きちぎれてしまったんです。間抜けだったなあ、あれは。そうですよ、アホなことをして失敗した時ほど間抜けなことはないですよ。ふざけて骨折する小学生がおもしろいことになってる理由ってそこだもの。ズボンに網戸作ろう〜♪とつけてブチーって網戸ひきちぎってる姿は相当みっともない。その時ふすまの陰から家族が覗いていたら……なんて考えるともう想像で貧血。救心ください。


だけどまあ失敗は成功のもとというか、こういう時「勉強させてもらったと思って」という言い方をするけども、まあ授業料、手間賃とかは授業料だと思って学んだと考えると塾ですよね、塾。塾に通って勉強しましたよ、ズボンのチャックはこれでもかと全開になるってことを。ズボンのチャック塾で。「ここ試験に出るぞ」「夏が本番だぞ」そうやって勉強してきたチャック全開具合。その後ズボン履く時は「……チャックって思ったよりも全開になるんだよな、よし」と毎回心のなかで思ってます。


(余談だけど心のなかで思ってます、って心の外で思ってたほうが可笑しいよね。「チャックって思ったよりも全開になるんだよな、よし!」と怒鳴ってズボン履いてたり)


昔作った『ふざけて骨折するまでSHOW』

続編の『ふざけて骨折するまでSHOW・秋』