別に断酒するなんて言わなくていいじゃないか、週一回とか月一回とか適当に飲めばいいじゃないか。久しぶりに会ったお仲間からそんなことを言われて、ものすごく納得する。


夕飯は家で。妻のビールを盗み飲む。二口。慣例になってきた。


断酒12日目…ビール二口


雑誌『ケトル』を買ってみる。調味料特集だというから、もっと生活にスポットをあてたものかと思ったが期待はずれ。ハワイを特集するのと同じ感じで調味料やってもそれは生活じゃないのになあ(次号特集は村上春樹だそうで、生活ってのは勝手にこっちが思い込んでただけ)。


じゃあ僕の読みたい生活とはなんだろう、と考えたとき。写真家の大山顕さんが撮る団地の写真、それもベランダ側の写真がそれに近いのではと思い当たった。布団が干してあったり、すだれがかけてあったり、一軒一軒ちがう。だけど、遠くから見れば同じような模様のように見える。生活がパターンになっているのだ。普通の生活なのに、図柄になっているという驚き。日常をじっと見つめていると、まぶたの裏の模様なんだろうか、サイケデリックな模様が現れたりして急に非日常になったりするもの。そういうのが読みたいのだ。


昼ごはんを食べたお店の店主が三木聡園子温映画のスタッフでおもしろい話を色々と聞いてホクホクのおいもさんみたいな状態になって出てきた。


やろうと思っていた原稿がひとつできたので飲もうと思っている。いいのか、飲んでしまうぞ。

飲んでないのでお茶でもしましょうよと人を誘うのは気恥ずかしい。何を企んでいるんだろうなって匂い。ツボでも売ってみるかなあ。

仕事が一段落してパーっとやりたくなったときもお酒が飲めない(お酒を飲んだところでパーっとできるたちではないのだが)。とにかくパーっとやるなら何をパーっとやるのかはおいおい考えていかないといけない。パーっとお茶をやるのはもちろん選択肢の第一候補だろう。だがパーっとお茶をやってしまっては、膀胱もパンパンである。なんせ、パーっであるからして、飲んでるお茶の3割程度は口元から下にこぼれていってシャツお茶まみれなほどの勢いだ。ガブガブガブ〜で、もう膀胱もパーっといきましょう、で、おしっこチャ〜で、パーっと、ジャンジャンやっちゃってくださいやっちゃってください(誰だ!)、ジャンジャンバリバリおしっこやっちゃってください(誰だおまえは!)、としたらば。したならばズボンを取り替えるはめになるだろうが、そこもパーっとやろう。


だがここで一つの疑問が頭をもたげる。パーっとやるとはなんだろうか。


こういうことだろうか、と首をかしげながら七色のラメの入ったパンタロンを履き替えることになるだろう。いずれにせよ、早くパーっとやる問題は解決しないといけない。魚群探知機でも買ってパーっと魚群探知でもするかね。


十一日目…飲まず

飲む理屈を考えていたが、そもそも飲まない理屈がないので抗えない。参った。もう飲めないのか。


晩飯のおかず、メインはミノだった。ミノ?これミノ?そうと頷く妻は白ご飯を食べない。ご飯代わりにビールを1缶飲む。ミノでご飯食べるのもアホくさいというか、ホルモンっぽいとこはご飯よりビールが合うなあ。と言ってる間に盗み飲み。一口。


だが、一口は一口なのだが、流しこむのどは二回。グビ、グビ。けっこうな量を一口で入れたのだ。これはもう、一口ではないのではないかと懺悔と悔恨。


9日目か10日目…ビール大きな一口


知り合いの野村さんがブログだかFacebookだかに生活保護の人だってパチンコすればいいしAVも見ればいいと書いてあって、そうかアダルトビデオを見たら怒られる世界なのかとちょっとげんなりした。想像でしろということだろうか。だったらあれはどうなんだ、と先日ヒカリエのDPZ編集部でいただいた、徳用うなぎパイを思い出した。うなぎパイ自体はぜいたく品だろう。夜に何かする気さえアピールしてある。だが、徳用である。端切れが集まってぜいたくとは程遠い。これは一体アウトなのかセーフなのか。


どうでもいいことをだらだら書いているのはネムいから。明日のプープーテレビの仕込みで、Tシャツに洗濯バサミを60個縫いつける工作が終了。あ、駒場アゴラに中フラを見に行った。声のでかい人が怒ってる様はいつもおもしろい。マクベスを12分でやるのもプープーテレビっぽいっちゃぽい。

断酒日記九日目

本当になんで飲まないのか意味が分からない。断酒する必要など何もないのではないかと憤る。

憤ってはいたが、今日は特に飲む意味がなかったので飲まなかった。だが週末の私はどうだろう。どうなるのだ。わからない。ひょっとしたら、ややもすると、週末私はどうかしてしまうかもしれない。


どうかしてしまうかもしれない。


九日目……飲まず(飲まないことにキレる)


飯食って風呂入ってすぐ寝て四時前に起きた。朝四時起きですべてが好転するという本のタイトルがあった気がするが、軽く寝違えただけだった。


台風一過の朝は朝露の下りた旅館の朝のような匂いがしていた。朝日が出ると一面金色になった。台風のあとは朝日や夕日でよく金色になっている気がする。

断酒日記でした

断酒日記だというのに「禁酒日記」と書いてある前日分。原稿が終わったこともあって、もう飲んでもいいだろうと憤る一日。いや、飲めばいいのだ。本当に誰も止めてないのだから。

相変わらず寝てる。娘のとなりで、起き上がっては床で、さらに起きては床で、と3回に分けて4時間くらい寝た。飲酒関係なく寝てる。多分これからも寝る。これだけ寝て一体誰が得をするというのだ。おれか。そりゃそうだ。そりゃそうだ。

そりゃそうだ。

八日目…ビール二口盗み飲み

禁煙日記七日目

六日目、七日目の週末を飲まずに過ごす。六日目の昼ごはんはうまい親子丼の店に連れていってもらって、何も言わないでいるとビールが出てきた。どうしようかなと思ったが、二口飲んだ。相変わらずうまいな。蒸し暑い土曜日で特にうまかった。夜はデイリーポータルのイベントを見に行って、飲み会には参加せず帰宅。家で雑巾を縫っていた。買ってきたピーナッツチョコをぽりぽり食べていると、土日くらいはいいんじゃないか?と妻から提案を受ける。それもそうだなと思う。

六日目…ビール二口

七日目、夜にヒカリエにいるみなさんでご飯を食べに行く。飲める方は一杯ずつビールを飲んでいたが、お茶でいられた。病気して三週間ほど禁酒した橋田さんの話を聞く。禁酒してると日常がシャキシャキしてませんか?と質問したら同意していた。あとは何か言ってたが忘れた。(やっぱり全然シャキシャキしてない)

ヒカリエではべつやくさんの缶バッジ製作を眺めていた。色々な図柄がある中「がびょう」が人気なのだそうだ。たしかに画鋲は学校生活でお世話になるものだし、親しみやすいのではないか。「下手な親戚よりは画鋲の方がずっと長い時間見てますからね」と思い当たった。あとでまとめようと思う。

昼は電車に乗って遠くの街へ。途中通り過ぎた駅前には赤ちょうちんの店が並んでいた。「いいねえ」と言う妻だがよさがさっぱりわからない。もう飲めないとなると、知らない街のあのうまそうな感じは半減する。そんなことを考えていると悲しくなってきたのでどうにか飲む理屈を考えている。

七日目…飲まず

酒を飲んでなくても夜、床で寝てることが多い。どうやらあれは酔って寝てたのではなく、ものすごく床が好きだったから寝てたようだ。

禁酒四日目(断酒だっけ?)を迎える。
三日目を書かなかったのは、自分でも惚れ惚れするほど立派な三日坊主からだ。
「おお、立派だね」
「こんなに大きくなったんだね」
脇に手をやってぐっと持ち上げる三日坊主。
誰だこいつは。

三日目の朝には後悔をやった。
飲むから朝に後悔するのかと思っていたがそうではないらしい。
またひとつがっかりした。

さて四日目は、と書き出して五日目であることを知った。坊主、もう一日立派になったな。

五日目の今日はアルコールを割るための炭酸水を飲んでいた。味がなくただシュワっとしているので、爽快感だけ味わえるのがいい。500ml100円程度とそこまで家計にやさしいわけでもないが。


断酒五日目…飲まず
(三日目と四日目は二口ずつビールを盗み飲みしたが)

そういえば四日目は飲まなかったのに床で寝た。寝違えてまた寝直したが、ふだん酒を飲んだときに床で寝るのは酔ってるからではなかったのだ。

五日目の今日は先程までふて寝していた。

そういう言葉があるくらいだから、ふてくされると人は寝たくなるのだろうか。それは体のどういう機能なのだろうか。しかしたしかに先ほどは僕も寝た。腹が立ってさほど眠くもないのに「目をとじてじっとしよう」と思った。イメージとしてはハンガーストライキのように「寝ることで抗議」してるのが近い。寝ることによる攻撃もあるのだろうか。僕は誰かに寝られてもあんまり困らないが。それでも寝たくなったのはなぜだろうか。

全く、人体は不思議である。


ふてくされて寝た人間が言う言葉ではないが。